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仙台高等裁判所 平成4年(く)6号 決定

主文

原決定を取消す。

本件再審請求を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、福島地方検察庁いわき支部検察官検事長谷川三千男が提出した即時抗告申立書及び同支部検察官事務取扱検事五島幸雄が提出した即時抗告理由補充書に、これに対する請求人の反論は、請求代理人弁護士(以下「弁護人」ということがある。)折原俊克、同渡辺正之、同上田誠吉、同増田隆男、同弓仲忠昭、同浅井嗣夫が連名で提出した平成五年二月一〇日付意見書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は要するに、本件は刑事訴訟法四三五条六号所定の再審理由である「無罪を言い渡すべき明らかな証拠を発見した」ことを理由とするものであるところ、これを理由とする再審請求の当否を判断するにあたっては、まずその証拠の新規性、信用性、明白性について検討しなければならず、かつその明白性の有無は、新証拠と関連する範囲内で、その証拠と他の証拠とを総合して判断すべきところ、原決定は、新規かつ明白な証拠の存否について検討せずに、直ちに確定審における公判記録と原審で取調べた全ての証拠を総合して、みだりに確定判決の心証形成に介入するという、白鳥事件等の判例の示すところに違反する誤りを犯し、請求人が捜査段階において一貫して、自分が日産サニーの宿直員殺害犯人である旨任意に自白している事実を無視し、独自の見解にもとづき、枝葉末節にとらわれ、かつ強引な判断によって明白性のない船尾鑑定を採用して自白の信用性を否定した上、本件につき再審を開始したものであって、原決定には決定に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反ないし事実の誤認がある、というのである。

よって、関係記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて、原決定の当否について検討する。

第一  本件再審請求に至る経緯について

本件再審請求に至る経緯及び本件再審理由並びに請求人が提出した証拠の関係は原決定に摘示されているが、その要旨を再記すると、次のとおりである。

昭和四二年一〇月二六日の深夜から翌二七日の明け方にかけて、福島県いわき市〈番地略〉日産サニー福島販売株式会社いわき営業所(以下「被害者方営業所」という。)内において、当夜宿直勤務にあたっていた同社従業員乙川二郎(当時二九歳)が頚部等をめった刺しにされて殺害され、同営業所の手提金庫から現金二一〇〇円位、及び同所宿直室から従業員のズボン一着(時価二〇〇〇円位)が盗まれるという事件が発生した。殺害現場である同営業所事務室には、日頃同営業所の調理台に置いてあった果物ナイフ(刃渡り約一〇・三センチメートル、刃幅二・五センチメートル、峰部の厚さ約〇・一センチメートル、峰側の先端部は稜角状をなし、刃側の先端角部が若干丸味を帯びた長方形のステンレス製片刃器で柄部の長さは約九・三センチメートルのもの)が、刃部と柄部の付け根部分で「くの字」型に曲損し刃部全面に血痕が付着した状態で遺留されていたほか、同営業所自動車整備場内には、同社で日頃作業に使用している鉄棒(直径約二・〇センチメートル、長さ約七九・六センチメートル、重さ約一八〇〇グラム)及びベアリングレースプーラー(長さ約八四センチメートル、重さ約三二〇〇グラム)が、いずれも全面に血痕の付着した状態で遺留されていた。同月二七日医師前田春雄の執刀により司法解剖が実施されたが、その解剖所見によると、被害者の頭部、顔面、頚部、胸部、背部、左右上肢及び右下肢の合計三七箇所に挫弁状創、挫裂創、刺創、刺切創等の損傷が認められたほか、脳橋部後外側網様体部に微小出血も認められ、その死因は、身体の各部に刺創、切創を受け、ある程度失血状態となり、かつ頭部打撲により脳橋(微小)出血も発生して相当瀕死の重傷となった状態において、頚部を刺入されて左総頚動脈切断という致命傷を受け、失血死したものとされている。なお被害者の血液型はB型であるところ、その後、前記果物ナイフ、鉄棒、ベアリングレースプーラーに付着している血痕の血液型はいずれもB型で、被害者のそれに一致することが確認された。

昭和四三年五月七日、窃盗被疑事件で平警察署で取調べを受けていた請求人が本件強盗殺人事件について自供を始め、同月一四日に至り全面的にこれを自供した。請求人の供述によれば、被害者の殺傷には、被害者方営業所に置いてあった前記鉄棒及び果物ナイフを凶器として使用したほか、マイナスドライバーも刺突行為に使用したというのであり、刺突行為に使用したとされるドライバーは現場付近では発見されなかったが、請求人は、同人方から押収された数本のドライバーの中から、全長約二二センチメートル、金属部の長さ約一二センチメートル、柄部が赤色のマイナス型ドライバー一本を本件犯行に使用したドライバーとして選び出した(もっとも福島県警鑑識課員が右ドライバーについて血痕付着の有無を検査したところ、柄の基部の一部が予試験で弱陽性を示したので、陽性部分を削り取って顕微沈降反応検査を行ったが、その結果は陰性で、結局血痕の付着は証明されなかった。)。

請求人は、同年五月二九日、本件確定第一審裁判所である福島地方裁判所いわき支部に、日産サニー事件(同裁判所昭和四三年(わ)第五二号、住居侵入、強盗殺人被告事件)について起訴され、同年七月一日、合計一五件の窃盗事件等(同裁判所同年(わ)第七一号、建造物、住居各侵入、窃盗、同未遂被告事件)について追起訴された。同年七月三日に開かれた第一回公判期日において、請求人は強盗殺人の公訴事実を認めたが、同月一七日の第三回公判期日に至り、よく考えるとその日は子供を抱いて寝ていたように思うとして否認に転じ、以後犯行を全面的に争った。同裁判所は昭和四四年四月二日、請求人の捜査段階における自白の任意性、信用性に疑いを生じさせる点はなく、自白と矛盾する物証もないとした上、日産サニー事件に関する罪となるべき事実として、「請求人は、昭和四二年一〇月二七日午前零時過ぎころ、金品窃取の目的をもって、ドライバーを携え、いわき市〈番地略〉日産サニー福島販売株式会社いわき営業所に赴き、同所北側の金網塀を乗り越え、同営業所建物の北西隅にある風呂場の窓ガラスを右ドライバーで破壊し錠を外して右窓から屋内に侵入し、西側工具室から持ち出した長さ約七九センチメートルの鉄棒一本を携え表側事務室やサービス課事務所内を物色中、同営業所宿直員乙川二郎(当時二九歳)に気付かれ、果物ナイフ(刃渡り約一〇センチメートル)を携えて来た同人と右事務室内で格闘の末、前記鉄棒で同人の左頭部を約二回殴打し、同人が取り落とした前記果物ナイフを取り、右ナイフやドライバーで背部、腕部等十数か所を突き刺し、同所整備工場内にあったロープ等を用いて同人を縛り上げ、布で猿ぐつわを施す等して同人の反抗を抑圧し、その後ロープ、猿ぐつわなどを外したものの更に被告人が宿直室を物色中、同人がサービス課事務所付近でうめき声をあげているのを聞き、殺意をもって前記果物ナイフでその頚部等を数回切りつけ、以上の打撲、刺創のため、同人を即時同所で身体各部の刺創等(殊に左総頚動脈切断)による失血のため死亡させた後、前記事務室大型キャビネットを前記鉄棒等でこじ開けて手提金庫を取り出した上、右金庫在中の同営業所従業員鈴木洋三所有の現金二一〇〇円位及び宿直室にあった同営業所従業員阿部貞夫所有のズボン一着(時価二〇〇〇円位)を強取した。」との事実を認定し、右の罪と併合罪の関係に立つ前記窃盗等一五件についても公訴事実と同旨の事実を認定して請求人を無期懲役に処した。同判決に対しては、請求人から確定控訴審である仙台高等裁判所に控訴の申立がなされ、弁護人らにおいて、前記ドライバーは成傷器とは認め難いなどとして確定第一審判決の事実認定を争ったが、確定控訴審は、「前田春雄の前記解剖鑑定書によれば、本件果物ナイフは被害者の頚部左側にある刺創の成傷器となり得ることが明らかで、請求人のいう刺突時の被害者との位置関係を考慮しても格別の矛盾はなく、その他の創傷についても、前田鑑定書の推定する成傷器の種類・用法と、請求人の自白内容との間に格別の矛盾はない。」などとして請求人の捜査段階における自白の任意性、信用性に疑問がないとした確定第一審の判断を支持した上、請求人の控訴を棄却した。その後請求人は右確定控訴審判決を不服として最高裁判所に上告したが棄却され、請求人において更に同裁判所に異議申立をしたがこれも棄却され、昭和四六年五月三日、右第一審判決が確定した。右有罪判決の確定により、請求人はその刑に服し、昭和六三年三月三一日仮出獄した後の同年七月一八日、原審に対し本件再審請求をした。

請求人が主張する本件再審の理由の要旨は、「新証拠である船尾忠孝外一名作成の鑑定書(昭和六一年一〇月一日付)によれば、確定判決が本件犯行の凶器と認定した果物ナイフによっては、被害者の前頚喉頭隆起部に存する第八創、左前頚部に存する第九創及び左背中央部に存する第二一創はいずれも成傷し得ず、左頚部に存する第一五創は成傷し難く、ドライバーによっては被害者の身体に存在するような刺創ないし刺切創は生ずる余地はなく、また本件犯行時に請求人が着ていたとされるアノラックにはルミノール血液反応は認められなかったところ、着衣に付着した血痕については、これを石鹸を用いて洗濯をした程度ではルミノール血液反応はマイナスにならないことが明らかになった。そうすると、右果物ナイフ及びドライバーで被害者を刺して殺害した旨の請求人の捜査段階における自白、及び右果物ナイフ又はドライバーによっても被害者の創傷は生じ得るとした前田春雄の死体解剖鑑定書並びに同人の確定審における証言は全く措信できないことになり、これらを前提として請求人を有罪とした確定判決もその根拠を失うことになるばかりでなく、請求人が真に犯人であるとすれば、その着衣のルミノール血液反応がマイナスとなる筈はなく、この点においても請求人の自白の信用性に重大な疑問が生じ、確定判決の根拠が揺らぐことになる。また新証拠である日本工業株式会社の回答書(昭和六二年二月一〇日付)によると、本件現場に残された犯人のものと思われる靴跡は同会社製の校内履き布靴であって、その大きさは二六センチメートルないし二七センチメートルであると認められるところ、請求人の素足は二三・五センチメートルで冬季用の厚い靴下を着用した場合でも二五・四一センチメートルの靴を履いていたのであるから、本件現場の靴跡は請求人の足の大きさに適合しないことになる。以上のような新証拠にもとづいて認められる諸事情のほか、本件現場から請求人の指紋や毛髪は発見されていないばかりでなく、本件現場の状況に照らし犯人もかなり受傷していると考えられるのに、請求人の血液型と一致する血痕が現場から全く発見されておらず、請求人と本件とを結びつける何らの物証も存在しないこと、請求人のアリバイを否定した確定判決の判断には疑問がある上、請求人の自白には秘密の暴露と見るべきものはなく、その供述内容には随所に不合理な点が認められ、捜査段階の取調状況には請求人に虚偽の自白を強要した形跡があること、その他請求人は捜査段階において裏付けのない架空の窃盗事件につき数多くの虚偽の自白をしているところ、これによれば請求人の判断力が十分でなく、虚言癖もあると認められるのであって、これらの諸事情をも併せ考慮すれば、本件確定判決の事実認定の正当性につき合理的疑いを生ぜしめるに十分なものがある。」というのであり、右再審請求の新証拠として、船尾忠孝外一名作成の前記鑑定書、及び船尾忠孝作成の回答書(平成三年四月二四日付)を提出し、同人の原審における証言(第一、二回)を援用したほか、原決定が理由第三の二及び三に請求人側からの証拠として摘示する各証拠を提出・援用した。

第二  原決定の説示について

右のとおり、本件再審請求は刑事訴訟法四三五条六号にいう「有罪の判決を受けた者に対し無罪を言い渡すべき明らかな証拠を発見した」との理由にもとづくものであるところ、原決定の判示するところは、要するに、右再審事由の存否を判断するに当たっては、「当該(新規明白な)証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてされたような判断に到達したかどうかという観点から、当該証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきである」との前提(いわゆる白鳥事件、財田川事件等において、最高裁判所によって示されているところであり、所論もこれに対して異を唱えているものではない。)に立ち、請求人が提出・援用した証拠のうち、船尾鑑定中成傷器に関する点を除くその余の証拠については証拠の新規性もしくは明白性を否定したものの、右の成傷器に関する船尾鑑定については新規性、明白性を肯認した上で、その余の全証拠と有機的に関連付け総合的に判断した結果、請求人の自白の信用性には重大な疑問があり、これにもとづき請求人を有罪とした確定判決の事実認定には合理的疑いがあるとの結論に到達したという趣旨に解される。たしかに原決定は、先ず確定審当時から既に存在した証拠にもとづいて検討しただけでも自白の信用性に疑問があるとした上で、新証拠を加えた検討を行っており、また、いわゆる新証拠の新規明白性(特に明白性)について明示的かつ詳細な判断を示していないところ、所論はこの点を捉えて、確定審の心証にみだりに介入し、前記白鳥事件等の判例に違反したと論難するのである。しかし、証拠の明白性の評価判断の方法としていわゆる心証引継説と再評価説のいずれを採るにせよ(原決定は右理由説示の方法から見ると、再評価説の立場に立っているものと推測されるのであるが、)右評価判断は既存の証拠との関連を離れてはなし得ないのであるから、原決定が総合的判断の結果到達した結論を理由付けるにあたり、右のような順序手法を取ったからといって、直ちに確定審の心証にみだりに介入したと非難するのは必ずしもあたらないというべきである。

しかしながら、当裁判所は関係記録等を調査し検討した結果、原決定の説示中、本件新証拠のうち船尾鑑定中成傷器に関する点を除くその余の証拠の新規性、明白性を否定する部分は、原決定と同様の理由により正当としてこれを是認すべきものであるが、原決定中成傷器に関する船尾鑑定に関する判断については、その新規性を肯定する部分は是認できるものの、その証拠の明白性ないし信用性を肯定した点は、再評価説の立場に立っても到底支持し難いものと考える。以下、その理由を述べる。

第三  成傷器に関する船尾鑑定の信用性、明白性について

(成傷器に関する鑑定関係証拠としては、右船尾鑑定のほか、当審において請求人が、提出・援用した内藤道興作成の鑑定書及び同人の当審における証言、検察官が原審において提出・援用した牧角三郎作成の鑑定書、石山明夫作成の成傷器に関する鑑定書、並びに同人らの原審における各証言、当審において提出した高津光洋作成の鑑定書及び意見書があるので、右の鑑定関係資料中鑑定書面《船尾忠孝については同人外一名作成の鑑定書及び同人作成の回答書を一括し、石山明夫作成分については成傷器に関する鑑定書のみを示す。》を引用する場合は、以下「船尾鑑定書」「石山鑑定書」などといい、各鑑定書面及び当該鑑定人の証言《前田春雄については、確定判決後に作成された同人の検察官に対する供述調書を含む。》を一括して引用する場合は、以下「船尾鑑定」などという。)

船尾鑑定人は、被害者の前頚喉頭隆起部に存する第八創、左前頚部に存する第九創及び左背中央部に存する第二一創はいずれも本件果物ナイフでは成傷し得ず、左頚部に存する第一五創は本件果物ナイフでは成傷し難く、被害者に存する各創はいずれもドライバーでは成傷し得ないとし、船尾鑑定を補強するものとして提出・援用された内藤鑑定は、右の各創のほか、左側胸部の第一九創及び左背上部の第二〇創も本件果物ナイフでは成傷し得ないとする。

すなわち前田鑑定は被害者に存する刺傷について、

(1) 第八創(前頚喉頭隆起部刺創)は多開創で、左右創口の長さは多開時に約二・六センチメートル、上下両創縁接着時に約二・七センチメートル、上下径の最大幅は約一・〇センチメートル、右創角は尖鋭、左創角は鈍に近く、上下創縁は正鋭、上下両創縁角はいずれも略々直角、創洞は内左方に向かい、皮下及び胸鎖乳突筋の内側筋を正鋭に切り、次いで甲状軟骨左下部を約一・二センチメートル鋭利に刺切し、更に食道の左半部を刺切し、第二頚椎前面で止まっており、皮膚創口から創底まで約五・二センチメートルで創洞面は略正鋭、創洞内軟部組織間に暗赤色凝血が多量に存し重傷、

(2) 第九創(左前頚部刺創)は多開創で、左右創口の長さは、多開時に約二・五センチメートル、上下両創縁接着時に約二・九センチメートル、上下径は最も広い部において約〇・八センチメートル、創角は、右は尖鋭左は鈍に近く、上下両創縁は正鋭、両創縁角は略直角、創洞は内方に向かい、皮下及び胸鎖乳突筋を正鋭に刺切し、更に甲状軟骨左上角を鋭利に刺切し、更に左総頚動脈(径〇・七五センチメートル)を分岐部の直下方において完全に切断し(その両断端は退縮している。)、更に左内頚静脈を不全切断した上、第八創の創洞に通じており、同創に通じる創洞面は正鋭で周囲軟部組織間に暗赤色凝血塊が存し、皮膚創口から頚動脈切断部までの深さは約三・一センチメートルで致命傷、

(3) 第一五創(左頚部刺創)は刺創で、左右創口の長さ約四・一センチメートル、上下創縁接着時約四・三センチメートル、上下径は最も広い部において約一・五センチメートル、左創角は鈍に近く、右創角は尖鋭、上下両創縁は正鋭、上創縁は暗赤色痂皮を形成し両創縁角は略々直角、創洞は内方に向かい、皮下及び左胸鎖乳突筋を正鋭に刺切し、第六頚椎前面で止まっており、創洞の深さは、皮膚創口から創底まで約七センチメートル、創洞面は略々正鋭で創洞の周囲軟部組織に暗赤色凝血があり重傷、

(4) 第一九創(左側胸部刺切創)は多開創で、その前後径は創口多開時に約一八・五センチメートル、前創角は尖鋭で切創痕約三・〇センチメートルを伴い、後創角は鋭に近く、上下創縁は正鋭、創洞はやや内下方に向かい、皮下及び筋肉間組織を正鋭に刺切し、左第七肋間において約九・〇センチメートル胸膜を正鋭に切り、左肺下葉底を僅かに切って止まっており、皮膚創口から創底までの深さ約七・五センチメートル、上下両創面は正鋭、上創縁角は鈍、下創縁角は鋭、胸膜切離縁の後創角は創口の後創角点より略々直前方に位置し重傷、

(5) 第二〇創(左背上部刺創)は創口の多開した破裂状創傷で、上下径は創口多開時に約六・四センチメートル、左右両創縁接着時に約六・九センチメートル、創口の幅は最大約二・二センチメートル、上創角は鋭、下創角は尖鋭で、左右創縁は正鋭に近く、創縁角はいずれも鋭角で、創洞は内右上方に向かい、皮下及び筋肉間組織を正鋭に刺切し、左第四肋頚に達して止まっており、皮膚創口から創底までの深さは約四・四センチメートルで、創洞軟部組織間に暗赤色凝血が少量存在し稍々重傷、

(6) 第二一創(左背中央部刺創)は創口の多開した破裂状創傷、上下径は創口多開時に約一・七センチメートル(創口接着時の長さは測定されていない。)、上創角は鋭、下創角はわずかに鋭、創洞の方向は第二〇創と略々同じくほぼ内右上方に向かい、皮下組織、筋肉組織を長さ約一・二センチメートル刺切し、更にその下部筋膜を長さ約〇・九センチメートル刺切し左第五肋骨体部に達して止まっており、皮膚創口から創底までの深さは約三・二センチメートルで、創洞軟部組織間に暗赤色凝血が少量認められ稍々重傷とし、第八、第九創の形成原因について、「明言はできないが、おそらくは刺入された部の刃幅約二・七センチメートル以内、刃長約五・二センチメートル又はそれ以上の片刃を有する鋭利な刃器で、被害者は略々仰臥位又はそれに近い体位で前面から刺されたものと推定され、小刀、匕首、若しくはこれに類似する刃物(それは刃が鋭利というだけで先が尖ったものか否かまでは特定できない。)を適当と推定する。本件果物ナイフについては、被害者が仰臥位ないしは背を下にして上向きになっている状態で、果物ナイフを直角またはそれに近い位置で頚部の皮膚面に刺入させた場合に、このような刺創が生じる可能性はある。その場合、果物ナイフの先が平らであるということは必ずしも妨げにはならない。」とし、第一五創の形成原因について、「刃幅約四・三センチメートル以内、刃長約七・〇センチメートル又はそれ以上の片側刃器で、刺突方向は前方からと推定される。」とし、第一九創の形成原因については、「少なくとも刃長約七・五センチメートル又はそれ以上の鋭利な片側刃器で、被害者の略々左外から右内方に向け刺切されたと推定されるが、被害者が仰臥位ではこのような傷はできないと考えられ、当時被害者は、立つか、うつ伏せになっていたか、あるいは犯人の手の位置と同等くらいの高さにある状態で受傷したと考えられる。」とし、第二〇創の形成原因について、「刺入された部の刃幅が約六・九センチメートル又はそれ以内、刃長約四・四センチメートル又はそれ以上の片側刃器の刺入によって生じたものと推定される。」とし、第二一創の形成原因について、「この傷だけが特異なので、あるいはドライバーでできたのではないかとも推量されるが、ドライバー特有の傷とまではいえず、鉄棒で突いてできた傷とは認められない。」としている。

これに対し船尾鑑定は、「第八創は、創角は左が鈍に近く、右は尖鋭とされ、創洞は左内方に向かい第二頚椎前面で止むとされており、第二頚椎は喉頭隆起部のかなり上方に位置するのであるから、本件果物ナイフが刺入する場合は、ナイフの峰部を左側にして水平方向では左側に向け上下方向では上方に向けて斜めに刺入する必要があり、また、甲状軟骨左下部を鋭利に刺切しているとされているが、こうした刺切を生ぜしめるためには刃の傾きの程度を大きくしなければならず、その場合には創口が二・七センチメートル以上になると考えられ、本件果物ナイフの「前進部」には刃がないため創洞性状にも一致しない。この刺創は、先端より約五・二センチメートル内外のところで刃幅が約二・七センチメートル以下の片刃の刃物で前頚部の右側に刃部が、左側に峰部がくるように刺入したものと考えられ、本件果物ナイフは不適合である。第九創は、上下両創縁は正鋭、両創縁角は略直角とされているところ、本件果物ナイフは先端が平坦となっているため、創縁に擦過痕を残すことなく刺入させるためには、第八創の場合と同様にナイフをかなり斜めにして刺入する必要があり、その場合には創口は二・九センチメートルよりももっと大きくなると考えられるし、創洞面は正鋭であるとされている点でも、第八創の場合と同様に果物ナイフの刺入による創洞性状とは異なると考えられる。この刺創は、先端より約三センチメートル内外のところで刃幅が約二・九センチメートルの片刃の刃器によって形成されたと考えられ、本件果物ナイフに不適合である。第一五創については、その上創縁に暗赤色痂皮が形成されているとされており、これは、あまり鋭利でない刃器が刺入するときに皮膚に擦過して生じたものと解釈でき、これと左右創口の長さは上下創縁接着時四・三センチメートルとされている点から見ると、本件果物ナイフによって生じた可能性を全く否定することはできない。しかし、本創の上下両創縁は正鋭で両創縁角は略々直角、創洞は内方に向かい、創洞面は略々正鋭であるとされている点からすると、刃器は皮膚にほぼ垂直に刺入して正鋭な創洞を形成したと考えられ、この点において本件果物ナイフは適合しないというべきである。この刺創は、先端より約七センチメートルのところで刃幅が約四・三センチメートル以下の片刃の刃器により形成されたものと考えられる。第二一創は、創口の上下径が創口多開時に約一・七センチメートルで、皮下組織、筋肉組織を長さ約一・二センチメートル刺切し、その下部筋膜を長さ約〇・九センチメートル刺切しており、皮膚創口から創底までの深さは約三・二センチメートルとされているのであるから、本件果物ナイフでは成傷し得ない。この刺創は、先端から約三・二センチメートルの部分の刃器の幅が〇・九センチメートルないし一・二センチメートル以内のものによって形成されたと判断される。ドライバーが身体に刺入した場合には、表皮剥脱、創角が挫滅状になるなどの痕跡が残る筈であるのに、被害者にはそうした痕跡は全く認められないし、創口の幅から見ても、ドライバーの刺入によるとは考えられない。被害者に刺創ないし刺切創を生ぜしめた凶器は、前記第八、第九、第一五、第二一創を含め、片刃の刃器で、先端が尖鋭であることまでは必要としないが、先端まで刃部となっているような凶器が適当と考えられる。第八、第九、第一五、第二一創を除くその余の刺傷については、本件果物ナイフを成傷器と考えても格別の矛盾はない。」としている。

右のとおり、船尾鑑定は、主として本件果物ナイフの性状と被害者の創口の長さに着目し、本件果物ナイフは刃幅約二・五センチメートルの長方形の刃器で先端部の下部に刃があるに過ぎないため、これを刺入するにはナイフを傾けて刃部の先端が皮膚に当たるようにする必要があり、その結果刺入口はナイフの刃幅よりもかなり大きくなる筈であるし、ドライバーの刺入痕も認められないことなどを理由に、本件果物ナイフ及びドライバーと被害者の刺傷との間の矛盾点を指摘したものである。

この船尾鑑定については、牧角、石山両鑑定人の次のような批判がある。

すなわち、牧角鑑定は、「いわゆる皮膚の押し下げ現象により、果物ナイフが皮膚面に対し直角方向に作用したとすると、その先端部は鈍的性状を有するため皮膚は強く押し下げられるが皮膚を刺通することはない。これに対し、果物ナイフが直角方向ではなく少し斜めの方向、すなわち先端の刃側部が皮膚面に当たる形で激しく作用した場合には、始め皮膚面は強く押し下げられ、皮膚の弾力性、抵抗性の限界を超えた時点で既に果物ナイフの刃部は(元の体表面から見れば)相当深いところまで到達している可能性が大きいと考えられ、他方、その時点で体内に刺入されるのは果物ナイフの先端部刃側部を中心とした限局した範囲に過ぎないと考えられる。そうすると、(右のような状態から直ちに)果物ナイフが抜き去られた後では、皮膚面は元の位置に戻るから、解剖の際に計測される皮膚面の創口から創底までの深さは、実際に刺入された果物ナイフ先端刃部の深さよりもはるかに深くなっていることが起こり得る。したがって、第八、第九、第一五、第二一の刺創は本件果物ナイフで成傷可能である。また、頚部の刺傷は比較的狭い範囲に切創や刺創が集中しているが、このような限局した範囲に何度も加害行為が行われていることは、当時被害者は殆ど動かなかった(動けなかった)ことを示唆するものである。左側胸部の第一九創は、始め創の後部に刺入され、その後前方に切り開かれた形となっており、しかも、始め刃器は左側胸部皮膚面に対しほぼ直角方向に刺入されているのに、その後、切り開かれる時点では刃部が著しく斜め下方になる形に変わっているが、これは加害者と被害者の相対的位置関係が刺入の始めから切り開く終わりまでの間に著しく変わっていることを示唆するものであって、加害者が刃の向きを変えるには著しく不自然な動きになることを考慮すると、むしろ被害者の体位が変わったためと見るのが自然である。なお、本件ドライバーでは本創は形成し得ない。」としている。牧角鑑定は、主として皮膚の弾力性にもとづくいわゆる皮膚の「押し下げ現象」を根拠に、創口長径と凶器の刃幅が一致しない場合があり得ることを指摘したものであり、皮膚の押し下げ現象については牧角鑑定人が自ら動物実験により確認済であって、専門家の間においても異論のないことが窺われ、これによって船尾鑑定の投じた疑問点の全てを解明し得るか否かはともかく、本件成傷器の性状と創口長径の比較のみでは、本件成傷器と創傷とが直ちに矛盾するとは断じ難いことを指摘したものとして重要である。

次に、石山鑑定は、「第八創の剖検写真によると、上創縁は真皮縁が明確に認められるが、その左創角上部には脂肪織と見られる球形の構造物が存在し、下創縁には脂肪織と見られる部分が帯状に露出し、下創縁は外表皮膚に対して鈍、上創縁は鋭角を呈していることに照らし、同創は多開創というよりは弁状創というべきものである。また下創縁の左創角にはかなり著明な切れ込みが認められ、上創縁に認められるやや不明瞭な逆三角形の凹みは喉頭隆起の上を刃物が通過する際に刃物が作用方向が僅かにずれるといったことによって生じたものと見ることが可能であり、創縁の右創端は極めて鋭利である。一方、第八創の創洞を見ると、喉頭隆起の下方の皮下軟部組織には刃が通過した所見は認められず、前田鑑定にいう甲状軟骨左下部を約一・二センチメートル鋭利に刺切したとされている点は剖検写真では確認できないが、甲状軟骨部の左部分すなわち喉頭隆起のやや下方に上下にわたり筋肉の不規則な離断部があり、これが前田鑑定書にいう甲状軟骨の左下部の損傷部と見ることができる。そうすると、第八創は、まず弁状創が形成された後に創口が左頚部の方に移動し、そこで初めて創洞を形成したと見ることができる。一般に、頚部の皮膚には相当のゆとりがあり、これを左右いずれかの方向に圧迫すると、皮膚は圧迫された方向に二センチメートル程度移動するから、頚部の皮膚を刃物の峰部で左方に圧迫すれば皮膚は左方に移動することになる。またいわゆる皮膚の押し切り現象により、創口の一端を刃の峰部で強く圧迫しながら刃物を刺入すると、峰部の皮膚が伸展することによって刃幅よりもかなり狭い創口が生じるが、その理は本件果物ナイフの場合も同様である(そのことは動物皮による実験で証明されている。)。以上を総合すると、第八創は、まず左上端部から左下端部に刃が作用して同所に著明な切れ込みを形成し、次いで刃は左前頚部を半回転しながら右方に走行して右創端を形成したところで、峰で左創端部を強く圧迫しながら被害者の左頚部に移動し、刃幅の部分が頚部の正中において横走するようになったところで左後方に刺入していったと考えられる。したがって、第八創を生ぜしめた凶器が本件果物ナイフであるとしても、被害者の左側に向け峰に力が作用しながらまず皮下組織を擦過状に破損し、次いで峰部による左創端の圧迫により創口が左に移動しながらナイフが左後方に刺入していくとすれば、本創は生じ得るものと見ることができる。この場合、創口の幅から見て本件果物ナイフでは本創を形成することが不可能であるという見解は全く根拠がないし、刃幅と同じ程度の刺入口でも無理なく頚部の深部まで刺入することが可能である。第九創は、第八創と同様の理由により、本件果物ナイフで無理なく形成することができる。すなわち、頚部に対し刃を下にして果物ナイフを皮膚面に振り下ろせば、ナイフの先端に連続している刃の部分が皮膚面に直接的に切開創を作って刃の一部が頚部に刺入し、この状態で被害者の創口の左創端を圧迫しながら押し切り状に刃が滑走し、刃幅が完全に刺入するところまで創口が広がった時点でナイフが頚部左側の軟部組織を刺通していき、その後にこれを抜去すれば、第九創を形成することは十分に可能であり、同創から刺入した本件果物ナイフによって甲状軟骨の左上角部や総頚動脈の切断を生ぜしめ得ると考えられる。第一五創についても、第九創の説明がそのまま当てはまり、本創の創口は四・一センチメートルであるから、本件果物ナイフで問題なくこれを形成することができる。また、頚部の創は全部同方向に刺入されており、一つの損傷だけで倒れてしまう程の重傷もあることを考慮すると、頚部の各創は、いずれも被害者が倒れている状態で形成されたと考えられる。次に第二一創については、動物実験の結果、果物ナイフの先端近くの鈍の部分が皮膚に対して垂直に作用した場合は皮膚に刺創を形成しないが、ナイフの先端近くの刃部が皮膚を離断し、先端の鈍な部分が皮膚面を圧迫するようにして刺入すると、創洞が三・一センチメートル内外、創口が二・二センチメートル内外の創が容易に形成されることが確認された。本創のように創口が一・七センチメートル内外のものは実験的には経験していないが、果物ナイフの鈍な部分による押し下げ現象が生じている状態で、被害者が刃物の刺入方向とは逆方向に倒れかかるなどして衝撃的に押し下げの際の創洞が深くなるといったことや、筋肉の収縮によって堅くなっているところに刺創が作用し筋肉が裂けるといったことによって、こうした創を形成することがあると考えられる。また、動物を用いてマイナスドライバーの刺入実験をした結果、全長二〇センチメートル内外の未使用のドライバーや磨耗したドライバーを垂直に皮膚面に刺入させようとしても刺入しないが、斜めに刺入させると、かなり容易に刺入し深部に達することができることが確認された。ただし、この場合でも未使用でドライバーのマイナスの稜が鋭いものやペンチなどで磨耗したマイナス面に傷を付けたものの場合には、皮膚に深く刺入する前にかなり長い表皮剥脱を形成し、第二一創とは趣きを異にした創傷が形成される。しかし、マイナス面に機械的破壊を加えて鋭い稜を作った場合は、皮膚に斜めに刺入しても、ほとんど線状表皮剥脱を作らずに皮膚に刺創を形成することができることが確認された。そして、ドライバーが刺入した後で、被害者側の防御本能が働き体位が移動することによって裂傷を起こし、刃物の刺創と寸分違わない創口を形成することは十分にあり得ることである。したがって、第二一創は本件ドライバーによっても生じ得ると考えられる。なお、第二一創は多開創とされているが、被害者を仰臥位にした場合の剖検写真によると、上下に向かう線状創となっており、実験動物に第二一創に見立てた創を作った上で、その横腹を第一九創のように大きく切開すると、第二一創に見立てた創は多開し創口径が短くなることが確認された。したがって、第二一創の多開状態は、第一九創が形成されることによって皮膚が上下にたわみ多開したものと考えられる。」とし、更に第一九創及び第二〇創について、「第一九創は第二〇創と関連づけて分析する必要がある。すなわち、剖検写真によると、第二〇創は上創角から上三分の一内外は右下方に向かって急速に深く刺入し、次いで下方に向かい切り下げたような状態となっており、下方に向かう部分は切創の趣きが著しい。したがって、この部に作用した刃器は、まず右上方に向かって肩上部に対し刺入運動を起こし、被害者と加害者の位置の変動に伴い徐々に切創状態となり、被害者が前方に転倒したところで刃器がいったん抜け、次いで刃体が回転するように左背胸部に刺入し、同部から側胸部及び一部前胸部にかけて大きな切創である第一九創を形成し、その際左上腕外側にも創(第二二創)を形成したものと見ることができる。したがって、第一九、第二〇、第二二創は、左肩から左背胸部、側胸部(一部前胸部)を経て左上腕伸側下部に至る刃器の一回の回転運動によって生じたものと見ることができる。創の形成時の体位及び形成順序については、背部の創は、まず第二一創が形成された後第二〇創が形成され、その延長線上に第一九創ができたと考えられる。刃器の一連の操作でこのような創が形成されることは動物実験により確認されている。第二〇創及び第一九創は、被害者が立位でないと形成されないと思われるが、第二一創は、半身とか倒れている状態でも形成され得ると思われる。」としている。石山鑑定は、皮膚、殊に頚部の皮膚は移動しやすく、これを刃物の峰部で一定方向に圧迫すれば容易にその方向に移動するという皮膚の性状と、いわゆる皮膚の押し切り現象により、創口の一端を刃の峰部で強く圧迫を加えながら刃物を刺入すると、峰側の皮膚の伸展によって刃幅よりもかなり狭い創口が生じ得るとの仮説を、なめし革や実験動物を使用して行った実験によって証明した上、これにもとづき、本件果物ナイフによっても被害者に生じた創傷を形成し得ることを論証したものであり、同鑑定がその論証の基礎とした皮膚の移動可能性ないし伸展性は、日常の経験に照らし十分に理解できるところである。また石山鑑定の第八創に関する分析も、その創の形状や切れ込みの部位等に関する同鑑定人の所見は剖検写真に照らし肯認するに足りる上、同創が形成された前頚喉頭隆起部の著しい起伏や皮膚の移動しやすい性状、更には頚部が傾斜状をなしていることを考慮すれば、さほど尖鋭でない刃器を前頚部の皮膚面に当てた場合に、その刃器の作用する方向が、皮膚面を切り開いて行く過程で変移しやすいこともまた日常の経験に照らし理解し得るところであって、以上によれば、同鑑定中「刃器が同創の左上端部から左下端部に刃が作用して同所に著明な切れ込みを形成し、次いで刃は左前頚部を半回転しながら右方に走行し、右創端を形成したところで峰で左創端部を強く圧迫しながら被害者の左頚部に移動し、刃幅の部分が頚部の正中において横走するようになったところで左後方に刺入していったと考えられる。」とする点も首肯するに足りるものである。また石山鑑定中、左側胸部の第一九創、左背上部の第二〇創との関係や創形成の順序及び第二一創の多開状態の発生に関する所見は、剖検写真を分析し、動物実験を踏まえたものであって、その剖検写真の分析には合理性があり、いずれも肯認するに足りるものである。更に石山鑑定中、第二一創の形成過程に関する所見は、動物実験を踏まえたものであり、同創の形成過程につき一つの可能性を論証したものとして傾聴に値するものというべきである。

以上に見た牧角鑑定及び石山鑑定にもとづき船尾鑑定の当否を検討すると、船尾鑑定が、本件果物ナイフは本件刃器として不適合であるとする理由は、主として各創の創口の長さと右ナイフの性状に着目したものであるところ、本件果物ナイフによって、その刃幅程度の創口の創が形成可能であり、その場合、峰部で一方の創端を圧迫しながら刃器が刺入されるならば、刃器の傾斜ないし角度はさして創口の長さに影響を及ぼさないことは、石山鑑定に照らし否定できないところであるから、単に創口の長さと右ナイフの性状によって本件果物ナイフを本件成傷器から除外することは相当でないし、船尾鑑定中、創洞の形状と本件果物ナイフの不一致をいう点も、石山鑑定が示唆するように、本件果物ナイフが創内に没入後、刃の部分がやや斜めに角度をつけて組織を切断して行く場合には、創洞面が正鋭となり得ると考えられるから、これによって本件果物ナイフの刺入による創洞性状と異なるとは断じ難い。第二一創に関する船尾鑑定人の意見は、創口の上下径と皮下組織ないし筋肉組織の創の長さの違いに着目したものとして傾聴に値するものであるが、これによっては、未だ牧角鑑定や石山鑑定が分析するような成傷の可能性を否定する理由として十分であるとはいい難い。また、船尾鑑定中、ドライバーが身体に刺入した場合には表皮剥脱、創角が挫滅状になるほどの痕跡が残る筈であるのに、被害者にはそうした痕跡が全く認められないとする点については、石山鑑定によれば、着衣の上から刃器を作用させた場合には表皮剥脱が生じないことがあり、ドライバーの先端が折損している場合には、これによって形成された創の創角が挫滅状にならない場合もあるとされていることに照らし、船尾鑑定が指摘する理由だけでは、未だドライバーによる成傷の可能性は否定されないものというべきである。

原決定は、牧角鑑定にいう押し下げ現象について、押し下げられた皮膚が完全に元の状態に戻る前に刃物を抜き去ることが可能であるとか、あるいは、いったん押し下げられた皮膚は完全に元の状態にまで戻ることはないかのいずれかを証明しない限り刃物の刃幅よりも小さい創口が形成され得るという説明にはならないとし、石山鑑定の押し切り効果について、その実験による成傷過程は本件果物ナイフを凶器として用いた場合の通常の殺傷行為とは大きくかけ離れたものであって、実験上で得られるに止まるか、あるいは余程通常とは異なる力のかけ方がなされた時のみ初めて生じ得るというに止まると思われ、第二一創については、実験によっても形成し得なかったというのであり、またドライバーによる動物実験は、ドライバーの先端に欠損部を作った上での実験であって、本件時ドライバーは欠損していなかったという請求人の供述にも合致せず、いずれも採用し難い旨説示する。

しかしながら、刃器による創傷の形成過程は、、加害者と被害者の位置関係、刃器の刺入方向ないし角度、刃器に加わった力の程度、刺入から抜去までの時間、抜去の方向ないし角度、刺入の部位、同部位の皮下組織の起伏の有無・程度、刃器の刺入中における被害者の体位変動の有無・程度等の諸条件によって大きな影響を受けるものである関係上、刃器を用いた殺傷事件に関する創の形成過程についても、いわば無数ともいうべき場合が考えられるのであって、原決定のいう通常の刺創形成過程とはどのような場合を想定しているのか明らかでないのみならず、むしろこれを想定すること自体が不可能若しくは無意味というべきであるところ、牧角鑑定や石山鑑定は、こうした無数に考えられる成傷過程の中から、本件の成傷器とされる果物ナイフやマイナスドライバーによって被害者の遺体に存する創傷が形成される可能性の高い場合を想定し、その想定した成傷過程について慎重な実験を繰り返した上で、本件成傷器による創形成の可能性を論証したものと認められる。したがって、これらの鑑定について、それが通常の殺傷行為とは大きくかけ離れたものであるとか、実験上で得られるに止まるなどという原決定の批判はあたらないものといわざるを得ないし、第二一創の形成過程に関する石山鑑定人の実験及び鑑定意見についても、前記のとおり一つの可能性を指摘したものとして、安易にこれを否定することは許されないものというべきである。

なお、船尾鑑定を補強するものとして当審で提出・援用された内藤鑑定は、「第八創は左創角には上下に幅があって、上下のそれぞれの隅角部にごく浅い切れ込み若しくは窪みがあり、その切れ込み若しくは窪みは、その部分に刃の峰部が作用したことを示す。そして右の切れ込み若しくは窪みは本件果物ナイフのやや鈍稜な峰部とは符合せず、むしろ右果物ナイフより峰幅の厚い刃器によって生じたものと考えられる。次に上創縁にやや波形の部分が認められるが、これは刃の向き等に多少の移動があったことを示す。本件果物ナイフは先端から同じ幅のものであるから、先が尖った刃器と比べ刺入後の動きが制約され、右果物ナイフではこのような創縁は形成されないと思われ、もっと刃先の細い刃器によるものと推定される。この点に関する船尾鑑定の意見は、頚部の皮膚が伸縮性にとむことを考慮せずに単に創口の長径から推論している点で不十分であるが、結論としては支持できるものである。第九創は創縁に波形ないし切れ込みがあり、これは第八創の場合と同様に刃に動きがあったことを示すものであるが、本件果物ナイフではこういう動きは行い難いと思われる。また、左創角の上側と下側に幅があるように見えるが、これも第八創と同じく片刃の峰を示すのではないかと思われる。創縁の中央付近に僅かに上方凸の屈曲があるが、これは単なる刺創というよりも刺切創に近いような刃器の動きがあって、刺した時及びそれを抜く時に刃の方向が変わったのではないかという疑いを持たせるものである。創洞は概ね正鋭のようであるが、略中央付近に僅かに上方に凸の屈曲があり、また、左総頚動脈の離断部の断端には波形があって同一平面上に位置していないような乱れがあり、これらの所見によると、左総頚動脈は刃の作用で一気に切れたものではなく、刃器になんらかの動きがあったことを示すものであって、そのことは、本創が刃幅の細い刃器によって形成されたことを示していると考えられる。本件果物ナイフのような刃幅の一様な刃器は組織内での動きが制約されるから、本件果物ナイフでは本創は形成されないと思われる。第一五創は左創角に峰部が作用したことを示す幅があり、その幅は〇・五センチメートル内外と推定されるので、本件果物ナイフは適合しない。また上創縁は波形になっており、それは刃幅の狭い刃器によるものであることを示すものと思われる。第一九創は、上創縁に浅い切れ込みがあるほか、上下両創縁とも創壁の角度にも乱れがあり、下創縁の中央部辺りから後方にかけて皮膚の皮下組織の断面がかなり明瞭に見えるのに対し、これに相当する上創縁は中央やや後方の部分から前下方に向かう部分約三分の一くらいの部分は皮下組織が見えているが、それから前下創角にかけては上下創縁ともに比較的垂直に切れており、これは皮膚の外表に対する刃器の角度が、かなり変化したことを示す。これによると、本創は幅の狭い刃器によるものであって、かつ刃器が袈裟がけ的一刀両断的に作用して生じたものでなく、まず刃器を刺入するような作用があって、その間に、刃器の幅の狭さと被害者の姿勢が刺入されている過程で変化したことの影響で、下前方に切り裂かれた状態になったものと考えられる。本件果物ナイフはまず峰幅の点で本創に適合しないし、また本件果物ナイフは柄の部分が小さいので、こういう大きな傷を作るのには向かないと思われる。第二〇創については、右創縁から右方に向かって非常に明瞭に屈曲し、屈曲部から下方に切り開かれた刺切創の形をとり、下創角は尖鋭であるのに対し、上創角は鈍であって、上創角部には峰の性状を示していると思われる幅があるので、本件果物ナイフは適合しないと考えられる。第二一創については、下創角部に表皮剥脱が認められる上に同創角には峰の幅があると考えられ、また死後における皮膚の収縮による創口長径の短縮を考慮に入れても、接着時の創口の長さは二ミリメートル内外しか延びないと考えられる。更に創の長さは、創口部が約一・七センチメートル、皮下組織、筋肉組織部の創の長さ約一・二センチメートル、その下部筋膜部の創の長さ約〇・九センチメートルとされており、先にいくに従って細くなるという先端の尖った刃器が作用した場合の典型的な刺創と同様の形状をしているので、本件果物ナイフは明らかに適合しない。牧角鑑定にいう皮膚の押し下げ現象については、その現象が起こり得ることは否定しないが、峰幅が残っている点で本件果物ナイフは適合しないし、石山鑑定にいうドライバーによる刺創には創壁の乱れが見られるので、本件刺創とは明らかに異なり本創がドライバーによるとは考えられない。」とした上、各創の性状、創角の形状から見て、第八、第九、第一五、第一九、第二〇、第二一創の成傷器は、峰に厚みのある片刃器で、峰部にかなり鋭的な角稜を有し、その峰幅はおおよそ〇・五センチメートル内外の刃器(例えば、小型の鯵割き《鯵切》包丁のようなもの)と推定され、本件果物ナイフは本件に不適合であり、本件ドライバーによっては前記各創傷を形成することは不可能であるとしている。

右のとおり、内藤鑑定は、各創口の一端に刃器の峰部が作用したことを示す切れ込みがあるということを前提とするものであるが、剖検写真によっては、各創の創端に峰部の作用したことを示す痕跡を確認することはできないし、特に第八創の左創角の上下の切れ込みについては、むしろ石山鑑定が指摘する刃先の回転作用によって形成されたと見るのが自然と思われる。また、内藤鑑定が指摘する創縁に認められる波形の部分については、それが内藤鑑定の説示するように刃の向き等に移動があったことを示すものであるとしても、そうした波形の創縁は、刃器の幅が比較的狭い場合にのみ生じるとまでは断定できず、石山鑑定が説示するような、刃器を皮膚面に当てた状態で刃の先端が皮下組織を擦過状に破損して行く過程で形成される可能性も否定できないものと考えられるのであって、以上によれば、本件果物ナイフによってこうした創縁が形成されないとは断じ難い。内藤鑑定中、第九創の創洞特に左総頚動脈の離断部に乱れがあるという指摘については、前田鑑定は離断後に断端が退縮したものとしていることに照らし、内藤鑑定が指摘するような刃器の動きの乱れを示すものと見ることには疑問があり、創洞面に僅かに屈曲があるとする点については、前記石山鑑定が説示する体内刺入後の創洞形成過程に関する説明と対比すると、たとえ内藤鑑定が指摘するような創洞面の僅かな屈曲があるとしても、それのみによって本件果物ナイフによる創形成の可能性を否定することはできない。第一九創の両創縁に関する内藤鑑定の分析は、剖検写真に適合するものであり、かつそれが皮膚の外表に対する凶器の角度がかなり変化したことを示すという説示部分も首肯し得るものであるが、同創の形成過程に関する石山鑑定人の意見を考慮すると、内藤鑑定人の剖検写真の分析結果から、直ちに本件果物ナイフが成傷器となり得ないと断定することはできないものというべきであり、また内藤鑑定中、本件果物ナイフは柄の部分が短小であるのでこういう大きな傷を作るのには向かないと思われるという点についても、動物実験の結果、本件程度の大きさの果物ナイフによっても第一九創程度の大きな創傷が形成され得ることを確認したとする石山鑑定と対比し、にわかに採用し難い。第二〇創に関する内藤鑑定の所見については、右創縁から右方に向かって非常に明瞭に屈曲し屈曲部から下方に切り開かれた刺切創の形を取り、下創角は尖鋭であるとする点は剖検写真により確認し得るものの、これは、石山鑑定が説示ように、第一九創とともに一回的な刃器の運動によって生じたと見る余地が十分にある上、第二〇創の上創角が鈍であるとする内藤鑑定の所見については、剖検写真を子細に検討してもそのようには断定できず、上創角に峰の作用を示す痕跡があるとも断じ難い。第二一創についての内藤鑑定の所見のうち、下創角に表皮剥脱があるとする点、及び峰の作用を示す痕跡があるとする点は、いずれも剖検写真によっては確認できず(かえって船尾鑑定は表皮剥脱は認められないとしている)、この点の所見はにわかに採用し難く、石山鑑定に添付されたドライバーによる動物実験の写真の創壁の乱れを指摘する点も、実験者である石山鑑定の所見に照らし直ちに採用し難い。内藤鑑定中、第二一創の創口部の創の長さと皮下組織ないし筋肉組織部の創の長さの相違に着目して刃器を推定する部分は傾聴に値するものであるが、これによって牧角鑑定や石山鑑定が分析するような果物ナイフの先端部の刺入による成傷の可能性が否定されるものではない。

以上によれば、本件再審請求の新証拠とされる船尾鑑定によっては、本件果物ナイフが被害者の創の成傷器となり得ないとまでは断定できず、結局、右船尾鑑定によっては請求人の成傷器に関する供述の信用性は減殺されないものといわなければならない。

本件再審請求にあたり請求人が提出したその余の証拠のうち、船尾鑑定人外一名作成にかかるルミノール血液反応に関する鑑定は、「さらし木綿及び白衣に付着した血液は入念な洗濯後もルミノール血液反応が陰性化することはない。」というものであって、その新規性は肯認し得るとしても、その内容は、確定審において証拠調べを経た化学繊維製黒色アノラック(本件当時請求人が着用していたとされるもの)のルミノール血液反応に関する鑑定結果とは検査の対象となる繊維が異なっている上、血液が付着した布を直射日光にさらした後のルミノール血液反応にも触れていない(この点については、血液が付着した布を直射日光にさらすと、さらし木綿では一日ないし七日以内に、ナイロン製の布では八日以内に、それぞれルミノール血液反応が陰性となる旨の血痕残留実験結果がある。)など、いわゆる新証拠としての明白性を欠くものであり、現場脇溝付近に遺留された靴跡に関する日本工業株式会社の回答書は、現場で採取された靴跡につき、「その靴は同社製の校内履き布靴であり、その大きさは二六センチメートルから二七センチメートルである。」とするものであるが、右回答書には、右の結論に達するまでの比較対照過程に関する説明はなく、その信用性、明白性を肯認するに足りない。その他、請求人が提出したその余の証拠については、その作成時期や立証趣旨ないし内容に照らし、いずれも新規性を有しないものというべきである。

以上によれば、請求人が提出した証拠は、いずれも刑事訴訟法四三五条六号にいう新証拠にあたらないというべきところ、原決定は、成傷器に関する問題とは別に請求人の捜査段階における自白について種々検討を加えた上、右の自白の信用性には多くの疑問があると判断しているので、原決定が到達した結論の重大性にかんがみ、原決定が自白の信用性に疑いがあるとした主な点につき以下に付言する。

第四  原決定の指摘するその余の疑問点について

一  請求人の供述と客観的証拠との矛盾点

(一)  凶器に関する供述について

原決定は、凶器の種類、用法に関する請求人の供述は著しく変遷しておりその信用性に疑問がある旨説示する。

そこで検討すると、後記のように、請求人は昭和四三年五月七日平警察署の佐藤巡査部長らに対し、「内郷市にある日産サニーに夜一二時ころ一人で入り、宿直員に見つかってしまい、夢中で近くにあった鉄棒でめちゃくちゃに叩いてしまった。相手の人は死んだと思う。」旨本件犯行の自供を始め、翌八日矢野警部補に概ね同旨の供述をしたほか、「最初から強盗をするつもりはなかったので、刃物は持って行かない。」と述べ、同月一〇日内郷署菊地巡査部長に対し、「宿直員を鉄棒で殴ってやろうと思い、私のそばを通り過ぎたその人の後ろに立ち上がり鉄棒で殴りつけたところ、手元が狂って多分机を叩いてしまった。二回目に殴りつけようとすると、相手は脇にあった椅子を振り上げて私の方に向かって来た。夢中で殴りつけると、カチンと音がして手がしびれた。相手は椅子を私に投げつけたが、身をかわしたので当たらなかった。私は手がしびれてしまったので逃げようとしたが、机にひっかかって転んでしまった。そこに相手が後ろから馬乗りになって組み付いてきて左手の拳骨で肩の辺りを二、三回殴った。私が力を入れて起き上がると、相手は割合軽い人だったので後ろに横になって転んだ。私は鉄棒で五、六回殴りつけたが、手応えもあったので相手に当たったことは間違いない。相手が工場の方に逃げ出してから一回りして反対側に倒れたところを、殴ったり刺したりして殺してしまったことは間違いない。今のところ、あの時の状況を思い出すと、死んだ人の顔が目の前にちらつき頭も心も混乱しているので、もう少し心を落ちつけてから正直に話すので、今日の取調べは勘弁してもらいたい。」と述べて、凶器、殊に刃器による殺傷の詳細には触れず、同月一四日に至り佐藤巡査部長らに対し、被害者を鉄棒で殴打するまでの経緯及び殴打状況について同月一〇日と同旨の供述をした上、刃器による被害者の殺傷状況について、「宿直の人は多分右手に何か光る物を持って右手を振り上げていた。私は転んだすきに鉄棒を拾い、鉄棒で相手の人を突いたり叩いたりした。その人が右脇腹を下にして倒れたところを殴っているので、多分左側の耳の上の辺りを殴っていると思う。その人は四つん這いになって逃げたので、そこでも鉄棒で叩いたと思う。それから私は馬乗りになり、その男の人が放したドライバーのような物で脇腹を切りつけた。血が相当流れた。その人は這うようにして通路の方に逃げた。そして窓際に寄り掛かるようにしてバタンと倒れた。頭は大きな事務室の方に向けていた。(中略)。相手の人が倒れている箇所で苦しそうなうなり声がしたので、またそこに行き、前々から相手の人が持っていた物を取り返してその辺に置いていたものを再び持ち、それで最後の息を止めた。この時は中腰になって力一杯どこをねらうともなくジャガジャガ突き刺した。突き刺す前に、拾い上げた物が果物ナイフのような刃物であることが分かった。大して長くないように覚えており、またそんなに重くないもので、光っていたことだけは最初から見ていた。」と述べ、同月一六日同巡査部長らに対し、「相手が持っていた光る物を拾い上げて、脇腹辺りを切りつけた。その後その人は苦しまぎれに逃げ回ったが、追いかけるうち、小さな事務室前の狭い所でばたんと倒れた。(中略)。相手のうめき声がしたので戻り、格闘したときに相手が放したものを拾い上げ宿直員の頭の方からめちゃめちゃに強く刺した。その時床にも刺してしまい、ぐにゃっと曲がってしまったが、それまでドライバーと思っていたものが果物ナイフのような物と分かった。」と述べ、同月一九日検察官に対し、被害者を鉄棒で殴打するまでの経緯及び殴打状況について同月一〇日と同旨の供述をした上、「私は夢中でその人を跳ねのけ、相手が倒れたところを腰に差していたドライバーを逆手に持って相手の脇腹をえぐるように刺し、鉄棒で頭を殴った。相手の左耳の上の辺りに当たったと思う。また相手が手放して床に落ちていた光るものを持って背中から腕の辺りも四、五回刺した。それから相手はふらふら立ち上がって、這うように狭い廊下の方に逃げて行ったので、追いかけるうち、相手はよたよたとなって倒れた。(中略)。うめき声が聞こえたので、私は刃物を持ったまま倒れている男の所に行き、喉の辺りを四、五回夢中でジャガジャガ刺した。男はうめき声も出さなくなった。力一杯突いている時に土間を突いてしまい、その時逆手に持っていた刃物が柄の所でぐにゃっと曲がったので、その近くに捨てた。」と述べ、同月二〇日検察官に対し、「昨日話したことで訂正するところはない。私が相手を跳ねのけたとき相手は右を下に横向きになったが、そのとき脇腹の辺り、腕の辺り、あるいは胸の辺りを刺した気がする。私は動揺していたので、思い出した順序が逆になったり、思い出せなかったところもある。」と述べ、同月二五日検察官に対し、刃器による最初の攻撃について、「相手が組み付いてきたのを跳ねのけて、腰に差したドライバーで二、三回夢中で突き、床に転がっている鉄棒で相手の左耳の辺りを一回殴り、相手の手から光るものをねじ取って四、五回逆手で刺した。」と述べ、同月二六日の検証時には、被害者を跳ね飛ばした状況、ドライバーで左側胸部付近を刺した状況、鉄棒で頭部を殴打した状況、倒れている被害者を抱え起こしてロープで縛り、身体とロープの間に板スプリングを差し込み、猿ぐつわをした状況をそれぞれ実演したほか、果物ナイフで刺殺した際の被害者との位置関係を指示している。右のとおり、凶器の種類、用法に関する請求人の供述は、被害者を鉄棒で殴打するまでの経緯及び殴打状況に関し概ね一貫しているほか、刃器による第一次攻撃が被害者の転倒した際に行われたこと、及び刃器による第二次攻撃、すなわち致命傷とされる被害者の頚部の刺突行為が果物ナイフを用いて行われたことについても一貫しており、刃器による第一次攻撃、殊に左側胸部に対するそれが、被害者が手離したドライバーのような光るもの(果物ナイフ)によって行われたか、請求人が所持していたドライバーによって行われたかという点で変遷があるに過ぎないところ、既に見たとおり、被害者の左側胸部の創傷(第一九創)は第二〇創とともに刃器の一回的作用によって生じたと考えるのが自然であるから、請求人が所持するドライバーで左側胸部を刺したとの右供述部分はにわかに措信し難い。請求人の供述によれば、請求人は本件犯行当時被害者の出血の酷さに大きな衝撃を受けて自らこれを拭き取ろうと努力したり、本件の自供を始めた後も、被害者を刺した事実を抽象的には認めながらも、成傷過程の詳細について、しばらくの間その供述を回避しているところ、これらの事情にかんがみると、ドライバーで左側胸部を刺したとの右供述は、生々しい成傷過程の想起を拒む心理等の影響により、その成傷過程を矮小化する方向に供述が変容したためとも考えられるのであって、いずれにしても、この点を除く成傷過程に関する供述が一貫したものであることを考慮すれば、右措信し難い供述部分の存在は、その余の成傷過程に関する供述部分の信用性を左右しないものというべきである。

原決定は、果物ナイフの曲損の原因に関する請求人の供述中、力一杯突いたとき狙いが狂って土間を突いてしまい刃物が柄のところで曲がったとする部分は、あまりにご都合主義的との印象を拭えないし、仮にそうであれば刃の先端が欠けるなどの異常を呈するのではないかと思われ、またその遺留場所が遺体発見場所でなく表側事務室の南側出入口付近に捨てられていた点も不自然である旨説示する。

しかしながら、昭和四二年一一月一七日付検証調書(以下「現場検証調書」という。)によれば、本件果物ナイフは被害者方営業所事務室から整備場に通じる南側通路出入口の敷居から、東北方に一・三メートル、南側表出入口戸から北西方三三センチメートルの床に刃体を上にして遺留されており、被害者はその南側通路上に頭を北向きにして倒れており、その頭部は右の敷居から約九〇センチメートルの床上に位置し、被害者の遺体と果物ナイフの遺留場所は二メートル前後の至近距離にある上、その敷居上の二枚引きガラス戸の南側が約五九センチメートル開放されていたのであるから、果物ナイフが曲がったのでその辺に捨てたという請求人の供述と果物ナイフの遺留場所には何らの矛盾もない。また、果物ナイフは長方形のものであって先端が尖った刃物ではないから、土間(コンクリート床)を突き果物ナイフが曲がった際に刃の先端が欠けるなどの異常が生じるとは限らないことはいうまでもなく、この点に関する請求人の供述は原決定が説示するような不合理なものとは解されない。

原決定は、本件果物ナイフの刃を下向きにしてその付け根の左側刃部に被害者の右拇指の血痕指紋があるほか、柄の部分にも隆線を特定できない血痕指紋があり、一方、解剖所見には被害者の右手掌に防御創があるとの指摘がないところ、柄の部分にある指紋は、当時請求人は終始手袋をしていたというのであるから、請求人のものではなく被害者のものと考えられるのであるが、請求人は果物ナイフを握っていたとすれば柄の指紋は手袋痕で消失すると考えられるから、果物ナイフは殆ど最後まで被害者が握っていたのではないかとみる余地があり、これによれば、果物ナイフが本件の成傷器であるとすることには疑問がある旨、また柄の部分の末端にある手袋痕はゴム編み模様のものとされており、右の手袋痕は軍手の手首部分によることが明らかであるところ、請求人の供述によれば、イボ手袋をはめた状態で、あるいは果物ナイフを逆手に持って攻撃したとされているのであるから、軍手の手首部分の模様が柄の端に付着する筈はなく、この点においても、請求人の供述は客観的証拠と矛盾する旨説示している。

そこで検討するに、関係証拠によれば、現場に遺留されていた本件果物ナイフは刃部と柄部(ベークライト製。柄の部分の長さ約九・三センチメートル)との付け根の部分でくの字型に曲っており、果物ナイフの刃の付け根の左側(左右は刃を下向きにした状態で、柄から刃先に向かっていう。以下同じ)に被害者の右拇指の血痕指紋があるほか柄部の左側中央部に隆線を特定できない血痕指紋があり、柄部の左側末端部には約二センチメートルにわたってゴム編み模様の手袋痕によると思われる血痕が、かなり明瞭に付着しているところ、前田鑑定書によれば、右拇指爪甲先端内側部に約〇・五センチメートルの長さの傷があるとされているほか、現場検証調書によれば、右手掌に長さ約二・一センチメートル、幅約〇・二センチメートルの切創、右手拇指表側に小豆大の刺創二個と爪の切端部に刃物痕があるとされていること(解剖所見に記載がないことのみを理由に右手掌に創がなかったと解すべき旨の原決定の判断は失当である。)、請求人は果物ナイフを逆手に持って被害者を刺したと述べており、長さ九・三センチメートルの柄部を逆手に握る場合には、握持部分が柄部の末端に集中して中央部分にまで至らないことがあると考えられること等の事情にかんがみると、果物ナイフの刃部にある被害者の指紋はもとより、柄の中央部にある指紋が被害者のものであるとしても、それらはいずれも被害者が防御する過程で付着したものと見て差し支えないものというべきであるし、刃部の前面に付着していた血痕の血液型が全て被害者の血液型に一致することをも併せ考慮すると、果物ナイフを殆ど最後まで被害者が握っていたと見る余地はないというべきである。また柄の末端部にあるゴム編み模様の血痕については、後述するように被害者に止めを刺した時点で請求人は右手に軍手を重ねて着用しており、しかも被害者の返り血で右手の手袋は酷く濡れたことが認められるところ、これによれば、攻撃時の握持箇所は一面に血に濡れ、手袋痕が明瞭には付着しにくい状況にあったと考えられるから、柄の左側末端部にある手袋血痕は、攻撃時以外の時点(おそらくは攻撃終了後果物ナイフを投棄する時点)で付着したと考えられる。そうすると、この点に関する請求人の供述が客観的証拠と矛盾するとはいい難い。

(二)  その他の血痕について

原決定は、被害者方営業所の事務室内にある渡辺久美子の座席の椅子背当てには上方から流れ落ちた状態の、かなりの血痕が付着しているところ、これは渡辺の座席を挾んで被害者と犯人が対峙したことを示すものと思われるのに、請求人の供述にはこの点に触れたものがない旨説示する。

しかしながら、現場検証調書によれば、渡辺久美子の座席の後方には、同人の椅子に近接して営業所長用の大型キャビネットがあり、同キャビネットの施錠は破壊され、中にあった手提金庫が持ち出されるなど物色の跡がある上、その扉には擦り付けた状態で相当量の血痕が付着しているところ、請求人の供述によれば、請求人は被害者を滅多刺しにして殺害した後、右手の手袋などが酷く血で濡れた状態で大型キャビネットの施錠を破壊して中から手提金庫を持ち出した旨述べているのであるから、右大型キャビネットの施錠を破壊する作業の過程で、請求人の右手袋等に付着した被害者の血液が渡辺の椅子背当部分に流れ落ちる可能性は十分にあるというべきであるから、右の血痕を根拠とする原決定の想定は賛同し難い。

また、原決定は、本件折りたたみ椅子の後脚部横張りパイプの屈曲痕に照らし、当時被害者は本件折りたたみ椅子の背当部裏側を上にして持っていたと考えられるところ、同椅子の背当部裏側には相当量の被害者の血痕が付着しているのであるから、被害者はこれを頭上に持ち上げていたわけではないと考えられ、この点において攻防の状況に関する請求人の自白は客観的証拠に符合しないことになる旨説示する。

しかしながら、現場検証調書によれば、折りたたみ椅子の座席面、背当部の表裏には全般的に雨模様の血痕が付着し、脚部の一部にはおたまじゃくし状に血痕が付着し、背当部が床面に接する状態で倒れていたことが認められるところ、右の折りたたみ椅子が遺留された付近には広範囲に血痕が飛散し、同所付近で被害者と犯人の格闘が行われたことが明らかであるし、請求人の供述によれば、格闘の末重傷を負った被害者は這うようにして同所付近から南側通路方向に非難したというのであるから、こうした格闘の過程若しくは被害者の移動の過程で、被害者の血液が椅子に滴下し、あるいは床に落ちた血痕が背当部に付着することは十分に考えられることであって、右折りたたみ椅子の背当部に血痕が付着しているからといって原決定のような状況を想定することは相当でなく、この点に関する説示も賛同し難い。

原決定は、同営業所調理室の流し台とガスレンジの境目の床に円形の血痕付着が認められるところ、これによれば、被害者が果物ナイフを右調理台の引出しから持ち出す当時、被害者は、既に相当の傷害を負っていたと考えられるから、この点において請求人の自白は客観的証拠に符合しない旨説示する。

そこで検討するに、現場検証調書によれば、同営業所調理室の流し台とガスレンジの境目の床に直径約七センチメートルの円形の血痕付着が認められるところ、同営業所の事務室から宿直室に出入りするためには、調理室を通らなければならない構造となっており、請求人は第一次の成傷行為の直後及び第二次の成傷行為の直後に、右手の手袋、アノラックの右袖、ズボンの裾などが酷く血で濡れた状態で宿直室と事務室とを往復したと述べており、調理室の床面には宿直室方向に血痕の付着した足跡が遺留されているのであるから、請求人が血液で酷く濡れた衣類を着用したまま調理室に出入りする過程で、その着衣から被害者の血液が調理台付近の床面に滴下する可能性は高いものというべきであって、以上によれば、この点に関する原決定の想定もまた失当といわざるを得ない。

原決定は、請求人の供述によれば手提金庫を宿直室の布団の上でこじ開けたとされているところ、その作業は布団上にひざまずく姿勢で行われた筈であり、金庫の鍵を破壊する際に使用されたベアリングレースプーラーには多量の血痕が付着しているのに、宿直室の布団には血痕が少なく、この点においても請求人の自白は客観的証拠に符合しない旨説示する。

そこで検討するに、現場検証調書によれば、同営業所の宿直室の押入れの敷居から北東方七九センチメートル、南東側の壁から北西方九〇センチメートルの畳上及び同押入れの敷居から北東方一メートル、南東側壁の北西方六七センチメーートルの畳上に、それぞれ一五センチメートル×六センチメートルくらいの矩形状の血痕が付着しており、手提金庫は押入れの敷居の北東方一・〇八メートル、南東側の壁の北西方九〇センチメートルの箇所に布団に接するようにして遺留され、手提金庫の鍵は破壊され内部が物色されていたことが認められるところ、これによれば、右畳上の血痕は犯人のズボンの膝付近が畳に接触して付着したものと考えられるから、手提金庫の鍵を破壊する作業が、同金庫を布団の上に置きベアリングレースプーラーを使用して行われたとしても、その際犯人自身は布団上ではなく、布団に近接した畳上に膝を付くようにして金庫の鍵を破壊したものと考えられるのであって、結局この点に関する請求人の供述が客観的証拠に反するとはいえない。

原決定は、同営業所サービス事務室内の被害者の机の引出しは荒らされ、引出し内の封筒等に血痕が付着しているのに、請求人の供述の中には、被害者に傷害を負わせた後に同所を物色したとの供述はなく、この点においても右供述は客観的証拠に符合しない旨説示する。

そこで検討するに、現場検証調書によれば、同営業所の被害者用の机の引出しが全部引き出され、血痕の付着した破れた封筒等が三段目の引出し内に入れられていたことが認められるものの、請求人は、(被害者に発見される以前の行動としてではあるが)右サービス事務室を物色したと述べているほか、当日の行動の前後関係については判然としないところがあるとも述べているのであるから、この点に原決定が指摘するような不一致点があることは否定できないとしても、それによって請求人の供述の信用性が左右されるとはいえない。(なお原決定が供述の一貫性がないとするその余の金品物色状況、犯行前後の足取り、当夜の携帯品、着衣等の処分状況等についても、当時請求人には事務所荒らしなどの多数の窃盗の余罪があった上、本件に関する取調べは事件後半年以上を経て行われていること、のちにも見るように、この間請求人としては、犯行を思い出したくない、忘れたいという心理が強く働いていたこと等にかんがみると、右の点に関する供述の変遷は、請求人の記憶が鮮明でないことによって生じたものと考えられる。)

原決定は、手袋痕跡に関する鑑定によっては未だ犯行現場に遺留された手袋痕の種類が特定されず、使用手袋に関する請求人の供述が客観的に裏付けられたことにはならない旨説示する。

しかしながら、寺島久男の鑑定書(二通)によれば、本件現場にあった折りたたみ椅子、、手提金庫、鉄棒、ベアリングレースプーラー、果物ナイフ、封筒大小、紙片等に付着した手袋痕について鑑定の結果、それらに付着した手袋痕の中にはゴム編み模様の手袋痕と表編み模様の手袋痕があることが明らかになったが、その後、右鑑定資料のうち手提金庫、封筒及び紙片につき、いわゆるイボ手袋による印象の可能性について再度鑑定を実施した結果、第一次の鑑定時に表編み模様と考えられたものの一部及びゴム編み模様と考えられたものの一部について、それがイボ手袋によっても印象可能であることが明らかになったというのであって、これによれば犯人が使用した手袋が、表編み及びゴム編みを有する手袋(例えば軍手)及びイボ手袋の双方であったとしても、現場に遺留された手袋痕と矛盾しないことが右の各鑑定によって裏付けられたことになり、結局、請求人の供述中、両手にイボ手袋をはめ、右手には更に軍手を二重にはめたとする部分は、なんら客観的証拠に反しないことが明らかである。

また、原決定は被害者方営業所の南側通路にある長椅子を拭いた理由について、請求人は何も触れていないというが、前記のとおり、当時請求人は床に流れ出た被害者の血液を拭き取るべく努力していたのであるから、長椅子の払拭痕も床のそれと同旨の意図に出たものと解すれば足りるものというべきである。

(三)  ロープ、板スプリング及び猿ぐつわに関する供述について

原決定は、請求人の供述中、瀕死の重傷を負った被害者を麻製の古いロープで縛り、板スプリングをロープと胸部との間に差し込み、更に猿ぐつわをしたとの供述部分に関し、「まず麻製の古いロープで被害者を縛ったとの部分については、昭和四三年五月二三日付現場写真撮影報告書に添付された写真(事件発生の翌日である昭和四二年一〇月二七日に撮影したとされるもの)にあるロープに被害者の血液の付着が確認されたわけではないばかりでなく、犯行に用いられたとされる右のロープの写真には洗面台に洋傘が立て掛けられ、床面が著しく濡れ雨水が溜まっている状況が写っているのに、同一場所を撮影した現場検証調書添付の九六番の写真にはロープはもとより洋傘や雨の溜まりも写っていないことに照らし、ロープを写した写真は本格的降雨が始まった同月二七日午後以降に撮影されたものであり、前記検証調書添付の九六番の写真はそれ以前に撮影されたということになるから、右の写真に写っているロープは捜査官が持ち込んだものである可能性もあり、また、ロープで被害者を縛った際に、被害者の前胸部とロープの間に左肘の辺りから右肩にかけて板スプリングを挿入した旨の供述部分は、仮に供述のとおり板スプリングを挿入したとすれば、当時既に被害者は血だらけの状態にあったのであるから、板スプリングには相当量の血痕が付着している筈であるにもかかわらず、押収してある板スプリング(幅約五・一センチメートル、厚さ約〇・七センチメートル、全長七二センチメートル前後、重さ約一五五〇グラムの湾曲した鉄板)には、一端から一七センチメートル付近にごま粒大の血痕四個が付着しているに過ぎず、この点において右供述部分は客観的証拠に符合しないし、猿ぐつわの件についても、これに使用した布に関する請求人の供述は著しく変遷している上、猿ぐつわとして使用したとされる風呂敷のルミノール血液反応は陰性だったことを考慮すると、猿ぐつわに関する請求人の供述もまた客観的証拠に符合せず、結局右の各供述部分については、その信用性に疑問がある。」旨説示している。

そこで検討するに、右の現場写真撮影報告書に添付されたロープの遺留状況を撮影した写真と右の検証調書添付の九六番の写真が同一場所を撮影したものであり、ロープの写真には洋傘や床面の濡れた状態が写っているのに対し、右の九六番の写真にはロープ、洋傘、床面の濡れが写っていないことは原決定の指摘するとおりである。しかしながら、被害者方営業所従業員の供述によると、同営業所においては不良車の牽引作業にワイヤーロープや麻製のロープを使用しており、事件の前日の午前中従業員二名が顧客方から営業所まで不良車を搬送した際には、太さが親指と小指の中間くらいで、長さが七、八メートルくらいの麻製の白色ロープを牽引に使用したが、そのロープは使い古したもので、油の手で触るために茶色がかって柔らかくなっていたこと、右現場写真撮影報告書添付写真にあるロープは同人らが右の牽引に用いていたものに酷似することをそれぞれ認めることができるところ、これによれば、本件当時同営業所には右の現場写真撮影報告書添付写真にあるような古い麻製のロープが存在したことについては疑う余地はないばかりでなく、使い古して油などが染み込んだ麻製のロープが同営業所に複数存在したことも窺われるところ、請求人の供述によれば、ロープは被害者が着用していたランニングシャツの上に掛けられ、しかもロープと身体の間に板スプリングを挿入したというのであり、緊縛の時間も比較的短時間であったことを考慮すると、被害者の緊縛に用いられたロープには、血痕が付着しにくいか、たとえ付着したとしても油などの染みによる変色のために見分けが付きにくい状態にあり、前記現場検証当時はロープと犯行とを結び付ける証拠は格別存在しなかった関係上、犯行に使用されたロープは捜査当局の押収の対象とならないままに廃棄された可能性を否定できないのであって、結局、前記ロープの写真の作成時期やその写真のロープ自体が犯行に使用されたものであるか否かは、請求人の自白の信用性を左右しないものというべきである。次に板スプリングについて検討するに、被害者方営業所従業員の供述によれば、右の板スプリングは当時同社で販売中の乗用自動車サニー一〇〇〇に取りつけられていた中古の二枚組板スプリングのうちの一枚であって、車体から取り外した後、油や砂埃が付着したままの状態で工具室付近に放置されていたものである(なお、右従業員の供述によると、本件の約一〇日前に従業員らが使用していたサニー一〇〇〇の板スプリングの一枚が折れたことがあり、その際、整備場でその板スプリングを車体から取り外し、折れていない一枚をそのまま工具室付近に放置していたことが認められる。)ところ、右板スプリングは湾曲した鉄板であって身体に密着しにくいものである上、請求人の供述によれば、これを被害者の前胸部とロープの間に、当時被害者が着用していたランニングシャツに接するように挿入したというのであるから、創傷部から流れ出た血液はランニングシャツに吸収されて板スプリングに付着しにくい状態にあったことが明らかであって、この点からすれば、板スプリングに血痕が粒状に付着する程度に止まったとしても格別不自然とはいえない。この点については、押収してある前記鉄棒及びベアリングレースプーラーには多量の血痕が付着していたこととの対比が問題となるが、右営業所従業員の供述によれば、右の鉄棒は同営業所の車両整備作業の際の梃子として連日使用していたものであり、右のベアリングレースプーラーも同営業所の車両整備作業の過程でリヤシャフトやベアリングのレースを抜く際に頻繁に使用していたことが認められ、これによれば、右の鉄棒とベアリングレースプーラーは利用頻度が高いために金属面がいわば研磨された状態となって比較的血痕が付着しやすい状態にあったと考えられる上、右鉄棒は直接被害者の頭部等を殴打する凶器として用いられたというのであるから、その際鉄棒が出血部に直接当たって相当量の血液が付着するのは当然であり、ベアリングレースプーラーは、被害者に止めを刺した後に、手袋が血液で酷く濡れた状態のままこれを握って手提金庫の鍵を破壊する道具として使用したというのであるから、右ベアリングレースプーラーに相当量の血液が付着するのもまた当然と考えられる。更に、牧角鑑定によると、被害者の右胸部に存する第一六創の右下方から右肩に向かう方向に、ほぼ直線状の淡褐色調変色部が認められるところ、もし板スプリングが右胸部に密着する形で当てられ、それが動かされるようなことがあれば、右胸部にこのような変色部が残存する可能性があるというのであり、以上によれば、板スプリングを被害者の胸部に挿入した旨の請求人の供述と、右板スプリングに付着した血痕が僅かであることの間に格別の矛盾があるとはいい難い。次に猿ぐつわの件につき検討するに、本件犯行は深夜消灯した状態で行われている上、右営業所従業員の供述によれば、当時同営業所の工具室には作業用の布切れが多数準備されていたほか、宿直室にも風呂敷等が置かれており、一方請求人は自らの着衣に付着した被害者の血液を布で拭き取る作業を行ったというのであるから、請求人が猿ぐつわに使用した布を特定できないとしても格別不合理とはいえず、また、請求人は猿ぐつわに使用した布切れはアノラックのポケットに入れたとも述べており、血液の付着が著しいズボンやズック靴等は捨てたというのであるから、その際猿ぐつわに用いた布切れも一緒に捨てられた可能性がないともいえない。そうすると、猿ぐつわに使用した布切れに関する請求人の供述が変遷し、あるいは風呂敷には人血の付着が証明されなかったことから直ちに、猿ぐつわを施した旨の請求人の供述が客観的証拠に符合しないとは断じ難い。そして以上に検討した諸事情と、この点に関する請求人の供述が行われた経緯及び供述内容、すなわち請求人は捜査段階において検察官に対し、「何度か言おうと思いながら言えなかったことがある。検察官から他に思い出すことはないかと聞かれて、検察官の席の後ろにあるブラインドのひもを見ているうちに相手の顔が浮かんできて、話し掛けろ、といっているように思われる。実は相手をロープで縛りぼろ切れで猿ぐつわをしている。相手が力を失って横向きに倒れた時に右手で力一杯相手の睾丸を殴ったところ、相手はうつ伏せになった。私はそのすきに工具室に飛んでいき、ロープとぼろ切れと板スプリングを持ってきた。相手はうつ伏せになってのめっており、私はロープで相手の身体を二巻くらいに縛り背中で結んだ。そして起き上がれないように、重りの代わりに持ってきた板スプリングを、左肘から右肩に掛けるように胸の方にロープの下に差し込んだ。それからぼろ切れで猿ぐつわをした。(中略)。その後バタッという倒れる音がしたので行って見ると、相手は虫の息だったので、可哀相になってロープと猿ぐつわを外してやり、ロープは工場の方の何台か並んでいる車の手前から二、三台目のところに車の下になるように丸めて捨てた。猿ぐつわにした切れはアノラックのポケットに入れた。板スプリングは工具室の出入口の左の方に投げて置いた。」旨述べ、確定第一審の第一回公判期日には押収してある前記板スプリングについて、それを犯行に使用したことを自認し、公訴事実を前面的に否定するに至った後も「検察官に聞かれたときは、犯人になりきった気持で、ロープで被害者を縛ったことや、板金のことを話した。そのとき猿ぐつわのことも話した。検察官からロープや猿ぐつわのことを暗示するような言動はなかったと思うし、板金のような物を差し込んでいないかと聞かれたことはない。別なことはやってないかと聞かれ、『多分板金を差し入れた。』と言ったと思う。それまでに警察で板金のことは聞かれていない。検察官からロープを見せられて縛ったロープはどれかと聞かれたと思う。そして二番のロープを取り上げたと思う。そのロープの団子状の結び目に見覚えがあると言ったと思う。」などと弁解するに過ぎないことを併せ考慮すると、この点に関する請求人の供述の信用性に疑いがあるとは言えない。

(四)  二人組の犯行を偽装したとの供述について

原決定は、請求人の供述中、二人組の犯行を偽装したとの供述は、その供述にいうような異種類の血痕足跡が確認されておらず、右手のイボ手袋の上に軍手を二重にはめ、左手はイボ手袋のまま、床に流れた血液を両手の手袋に塗り付けて両手でしっかり握るようにしたとされる板スプリングにはそうした形跡もなく、そもそも本件犯行時に偽装工作をする余裕があったとは考えられないことに照らし、その供述の信用性に疑いがある旨説示している。

そこで検討するに、請求人は捜査段階において、「日産サニーに入る時に着用していた手袋は、掌の方にイボイボがあり、手の背の方に三本の線が入っているナイロン製のような白いもので手首にフックが付いていた。手袋は、他に軍手のようなものも使っている。やや黄色がかった軍手をポケットに持っていた。この軍手は中から盗んだものである。右手のイボ手袋の上から軍手をはめ、板金の真ん中を右手で持ち、端を左手で持っていかにも二人で板金を握ったように工作した。その後は右手に軍手をはめたまま行動している。二人でやったように被害者の靴で歩いたようにしたり、自分の靴を左右取り替えて歩いたり、手提金庫の中にあった封筒の端を両手で引っ張り二人でこれを引っ張ったように工作した。」と述べ、「宿直員の靴跡を付けても二人組とは思われないのではないか。」との質問に対し、「そこまでは考えなかった。」と述べ、確定第一審の公判期日において、「検察官に片方はイボ手袋、片方はイボ手袋の上に軍手のようなものをはめたと言ったと思う。自分から想像してそう言った。検察官が手提金庫を取り寄せて見ている時に『二人でやったように見せ掛けた。』と言ったと思う。推理を立ててしまった。それまで警察で二重手袋のことを聞かれたことはない。中身を二人で引っ張りっこしたように見せ掛けるため、片方にイボ手袋、片方に軍手をはめたと言ったと思う。宿直室の布団に足跡を付けたと言ったかも知れない。」と述べている。

現場に遺留された手袋痕の鑑定結果によると、本件犯行時に、犯人が軍手のほかいわゆるイボ手袋を着用していたと見ることは妨げないと認められるのであるが、右のとおり、二人組の犯行を偽装した旨の請求人の供述部分には、被害者の靴跡を付けたと述べるなど合理性を欠くところがある上、事件発生直後に行われた検証に際し、請求人の供述するような二重の足跡は確認されておらず、また二人組の犯行を装うべく右手のイボ手袋の上に軍手を二重にはめ左手はイボ手袋のまま床に流れた血液を両手の手袋に塗り付けて板スプリングを両手でしっかり握るよにした旨の供述部分についても、前記の板スプリングにはごま粒状の血痕が四個認められるに過ぎず、その供述のような痕跡は確認されていない。ところで請求人は、被害者を刺した後右手の手袋が血で濡れた旨述べているところ、これによれば、右手に軍手を二重にはめたのは、血液が酷く付着した手袋のままではその後の金品物色作業等を行い難いために、刃器による第一次攻撃後右手に二重に軍手を着用したのではないかと考えられるのであって、以上によれば、二人組の偽装工作をしたと言う請求人の供述部分には、原決定の指摘するような疑問点があり、信用し難い観があることは確かである。しかし、右供述が請求人の方から自発的になされたものと見られることは、所論指摘のとおりであると思われる上、何かと嫌疑を逸らせ、あるいは罪をいくらかでも軽くしたいという心理からの思いつきにより、共犯がいるという虚偽の弁解や偽装工作がなされることは、往々見られるのであって、右供述のいう偽装工作がいかに幼稚で不完全であり、現場の状況と完全に符合しないとしても、工作をした(もしくは、しようと試みた)ということ自体が虚偽であるとはたやすく断定し難いし、まして、このことから自白の核心部分の信用性までも否定するのは相当でないというべきである。

二  秘密の暴露について

原決定は、請求人の供述には秘密の暴露とすべき点が殆ど見当たらない旨説示している。

そこで検討するに、関係証拠によれば、請求人が本件強盗殺人事件につき自白するに至った経緯は次のようなものであったことが認められる。

昭和四三年四月二四日夜、いわき市平字八幡小路所在の福島地方・家庭裁判所いわき支部において、何者かが施錠を外して屋内に侵入し、現金や座布団などが盗まれた。同夜、同市好間町でも盗難事件が発生し、電気丸鋸などの大工道具が盗まれた。右窃盗事件について捜査中の平警察署の佐藤満雄巡査部長らは、同月二七日、同市平字揚土所在の子鍬倉神社境内の社の縁の下に右各盗難事件の賍品と思われる座蒲団や、電気丸鋸などの大工道具を発見したことから、同所で張り込みを実施していたところ、同日夕方、請求人が右社に現れ、縁の下からその大工道具と座蒲団をバイクの荷台に積み込んで立ち去ろうとしたことから、同巡査部長らが請求人に対し職務質問を行った。請求人は電々公社の身分証明書を見せ、大工道具を発見したので警察に届けようと思っていたと弁解したが、挙動が不審なので警察まで請求人を任意同行した上、請求人の所持品などについて説明を求めるうち、請求人は大工道具の窃盗を自供した。請求人は、同日右大工道具の窃盗被疑事実により緊急逮捕され、同月三〇日同被疑事実により勾留され(勾留場所は平警察署)、その後裁判所における盗難事件を含む十数件の窃盗を自供した。当時、日産サニー事件の捜査本部は内郷警察署に置かれており、平警察署所属の矢野丑松警部補や佐藤巡査部長は右強盗殺人事件の捜査には関与しておらず、請求人の取調べは専ら請求人自身が自供した多数の窃盗事件について進められた。同年五月七日の日中、矢野警部補と佐藤巡査部長が右自供にかかる窃盗事件について請求人を取調べたが、午後二時ころに至り、請求人が「顔が霞む。」と訴えたため取調べを中断し、同日午後六時五分ころ取調べを再開し、初め矢野警部補が三〇分くらい事情を聞き、その後佐藤巡査部長が請求人から事情を聞いていたところ、請求人が目が霞んで見えないと言い出したことから、佐藤巡査部長が具合が悪いのかと尋ねると、請求人は、がたがた震え出し、「今まで盗んだネッカチーフ、ナイロン靴下、パンティーが首に絡んでくる。夜眠れない。盗んだパンティーが首を締めつけて眠れない。」と言い、後ろを振り返り、左右を見回しながら「誰かが私を呼んでいる。」などと言って全身を振るわせて泣き、佐藤巡査部長は煙草を吸いながら請求人に種々尋ねたところ、請求人は、「後ろに誰かがいて、私を呼んで引っ張るような感じがする。刑事さん煙草を止めて下さい。刑事さんの煙草の煙から人が出て来る。」と言い出し、更に「助けて下さい。今までも鎌田橋の踏切で三度自殺するつもりだった。警察に自首するつもりだった。内郷の事件は私です。」と言い、佐藤巡査部長が、「内郷の事件とは何だ。」と聞くと、「自動車会社の宿直員殺しです。済みません、済みません。」と言って泣き続けた。当夜の請求人の供述の模様は同日午後八時〇七分ころから録音テープ(ただし、このテープは本件の確定後処分されたもののようで、現存しない。)に収録され、簡単な供述調書も作成されたが、その供述調書には、「金が欲しくて内郷市にある日産サニーに夜一二時ころ一人で入った。ところが宿直員に見つかってしまって格闘になり、夢中で近くにあった鉄棒でめちゃくちゃに叩いてしまった。相手の人は死んだと思う。金が欲しくて、格闘の後も金庫などを探した。(この間、被疑者は終始体を震わせ、与えた水を口にし、手を合わせて拝む姿勢で、涙ながらに供述した。)私が殴ったその宿直の人が、顔にいつも出てきて、寝ても私の傍から離れず、煙草を喫っても煙の中からその人の顔が浮かんで来るので、とんでもないことをしたと後悔している。」旨記載されている。請求人は同月八日、日産サニーの強盗殺人の被疑事実により逮捕され、身柄を捜査本部のある内郷署に移され、同月一〇日同署に勾留された。請求人が内郷署に移監後、右捜査本部から平署の矢野、佐藤の両警察官に対し応援の要請があり、同人らが引き続き請求人の取調べを担当することになったが、請求人は同月八日矢野警部補に対し、当夜の服装について、「その時着ていたアノラックは金網を乗り越える時に、多分左側のポケットを金網に引っかけて破れたので、ねずみ色のビニールテープで裏打ちした。今でも自宅にある筈である。」と述べた。佐藤巡査部長らは捜索差押許可状にもとづき請求人方を捜索した結果、請求人の供述どおり、破損部分をビニールテープで裏打ちしたアノラックが発見された。その後請求人は同月一四日に至り、矢野警部補及び佐藤巡査部長に対し全面的に右強盗殺人の犯行を自供した。その供述の要旨は前段に記載のとおりである。同月二六日に行われた被害者方営業所における検証に際し請求人は、同営業所整備場付近の状況について、「当時はこんなに車は置いてなかった。」旨、同所事務室の状況について、「ここは前より机は多いように思う。一列目の机は今より少なく(床が)広かったように思う。」旨、同所サービス事務室の状況について、「ここは前より少し変わっていると思う。キャビネットがもう一つあったように思う。」旨、被害者が倒れていた通路の状況について、「この長い椅子はもっと工場寄りにあったように思う。小さい事務所側の方に何か衝立のようなものがあったように思う。」旨、自ら逃走場所と指示した南側通路のガラス戸の状況ついて、「このガラス戸には鉄格子が取りつけてあるが、前にはこの鉄格子はなかった。」旨それぞれ指示したほか、同月二四日の検察官の取調べに対し、「宿直員の人とは昨年七、八月ころ平市尼子町にある和可久食堂で昼過ぎに一度あったことがある。その人はサニーのネームをつけて白いジャンパーを着てカウンターのところでラーメンのようなものを食べていた。私はこれまで警察でも検察庁でも写真を見せられたことはないし、事件以来、事件の写真は交通事故の分も含めて見るのが怖く見ていない。」とした上、検察官から日産サニーの従業員らの写真を示されるや、「写真1の前列左から四人目、写真2の前列真ん中の人のすぐ後ろから顔を出している人、写真3の前列の白いコートを着た人の向かって左後ろにいる人、写真4の前列のしゃがんでいる二人のうち左の人がその人である。」と述べ、本件時に強取したズボンの生地についても、検察官が示したサンプル生地の中から、「八枚の生地のうち三番のねずみ色の縞のあるサンプル生地のものである。このズボンは長くて狭いので足の方を捲くるようにして履いた。チャックが半分しか閉まらなかった。」旨述べたほか、犯行時に着用した手袋について、白いドライバー用の掌の方にイボイボがあり手の背の方に三本の線が入っているナイロン手袋のようなものであり、昨年八月ころ三倉町のアパートの軒下から盗んだものである旨述べたが、調査の結果、請求人の述べるような手袋の盗難事件が裏付けられた。請求人は、同年五月二九日、日産サニー強盗殺人事件について起訴されたが、同年七月三日に開かれた第一回公判期日において、強盗殺人の公訴事実につき、「公訴事実のうち風呂敷で猿ぐつわをはめたとあるが、それは工具室から持ち出したぼろ布で猿ぐつわをしたもので、その他の事実は全部間違いない。」とし、押収物について、「押収物のうち、果物ナイフは相手が持っていたものでこれでやった。風呂敷は自分の足を拭いたが、猿ぐつわに使っていない。鉄棒はキャビネットをこじ開け、相手を叩くのに使った。ベアリングレースプーラーは金庫を壊した時に使用した。自動車用スプリングは相手の猿ぐつわを外す時に外している。このドライバーは犯行に使っている。アノラックは自分のものでサニーに入る時に着ていた。」などと述べた。同月一〇日の第二回公判期日に弁護人から、当時請求人は自宅で寝ていた旨のアリバイの主張が行われたが、請求人は、当日日産サニーにいったことは間違いないとし、弁護人の検証申請についても、検証は止めてもらいたい旨述べ、弁護人のアリバイの主張については、自分はもう気がおかしいと述べた。同月一七日の第三回公判期日に請求人の父と妹の尋問が行われ、同人らは請求人にはアリバイがある旨述べたが、これに対し請求人は、サニーの事件当日ごみ捨場にズボン、靴、靴下を捨てたと記憶していると述べる一方で、よく考えるとその日は子供を抱いて寝ていたように思うとも述べた。同月三一日の第四回公判期日に請求人の取調べ状況を収録した録音テープの再生が行われたが、その再生の途中で、請求人は気分が悪いといい出したため取調べが中断している。テープの取調べ終了後、請求人はテープのように話したことは間違いないと述べ、同年九月四日の第五回公判期日以降は、「気持ちが動転していて有ること無いことを述べたが、自分はサニーに行っていない。当日は自宅にいた。取調べの時に現場の図面を書いたが、自分は推理小説などが好きで、泥棒学校などの漫画も貸本屋で眺めていたので、そういうものを思い出して図面を書いた。ロープのことは、自動車会社に有るだろうと思って話した。被害者の写真を検察官に見せられたことは間違いないが、自分の山勘で被害者を選んだ。ズボンのサンプル生地を検察官に見せられ、ねずみか茶と言ったが、それはねずみ色が好きだし、触って見て、季節にも合うと思ったからである。検証の時は犯人が自分に乗り移っていた。」などと弁解している。

右のとおり、本件強盗殺人事件に関し自白を開始した当時、請求人は窃盗事件で逮捕・勾留され、平警察署において取調べを受けていたが、右の逮捕・勾留及びその後における平署員の取調べには、請求人と本件強盗殺人事件との結びつきを詮索する意図、目的はなかったのであって、請求人の自白は平署員にとって全く予想外のものであったこと、請求人は右自白の翌日右強盗殺人事件の捜査本部がある内郷署において、平署から派遣された捜査官から当日の服装について尋ねられるや、当夜の服装に止まらず、着用していたアノラックを被害者方営業所の金網で破り、犯行後ねずみ色のビニールテープで裏打ちした旨を任意に供述しているところ、当時捜査当局は、犯人が金網で着衣を破った事実はもとより、犯人の服装も把握していなかったこと、請求人は被害者方営業所で実施された検証の際に、格別捜査官から尋ねられたわけではないのに、事務室の机の配列が当夜と違うとか、犯人の逃走場所と目すべき窓の鉄格子は当時はなかったなどと述べているほか、被害者を以前「和可久食堂」で見かけたことがある旨供述した上、被害者が同僚らと写した写真の中から被害者を特定する等、捜査段階における請求人の供述の中には捜査官の意表を突くものが少なからず存在しているばかりでなく犯行を否認するに至った後における請求人の弁解は著しく合理性を欠くものであって(なお、請求人の原審における供述は確定審における弁解と実質的に同旨であるところ、何故虚偽の供述をしたかについて、請求人の説明に迫力がないことは、原決定も指摘し、疑問が残るとしている。)、こうした請求人の言動は、これを秘密の暴露というと否とにかかわらず、その供述の信用性を著しく増強するものといわざるを得ない

原決定は、請求人が五月七日に本件を自白してから、同月一四日まで殆ど核心に触れる供述をしていないことは、請求人が供述すべき情報を未だ十分に持ち合わせていなかったためではないかと考えられる旨説示するが、請求人は、本件を自白した翌日捜査本部のある内郷署に身柄を移されたが、当日、当夜の服装及び犯行後の着衣等の処分状況、当夜の携帯品について供述するとともに、前記アノラックの鉤裂きについて述べ、翌九日、犯行後の行動、衣類の処分状況及び当夜の携帯品について述べ、翌一〇日、身上関係、当日の犯行前の行動、侵入状況、被害者に発見されるまでの物色状況、発見されてからの格闘の状況(刃器による部分を除く)の詳細を述べた上で、「今のところ、あの時の状況を思い出すと、死んだ人の顔が目の前にちらつき、頭も心も混乱しているので、もう少し心を落ちつけてから正直に申しますから今日の取調べは勘弁して下さい。」などと供述し、翌一一日には黒色のアノラックの裏打ちをした理由及び領置にかかるアノラックの確認をしているところ、同月一〇日の供述に見られるように、当時請求人は犯行時の生々しい状況を想起することを厭い、犯行の詳細に関する供述を避けようとしていたことが明らかであって、捜査官による誘導や暗示があったことを窺わせる事情は格別発見できないから、この点に関する原決定の推論はあたらないものというべきである。

原決定は、請求人の供述中、和可久食堂で被害者とあったことがあるとして同僚らとの写真の中から被害者を特定した点について、一方で犯行後間もなく被害者に以前会ったことがあることを思い出したとしながら、五月二四日になって初めてこれを言い出した点に矛盾があるほか、被害者の印象に関し、同月一四日の供述では「年のころがそう若くも見えない男の人」としながら、同月二一日には「背のあまり大きくない若い人」と、一見して明らかな程に食い違う供述をしている旨説示する。しかしながら、前記のとおり、請求人は捜査が開始された当初、被害者の幻影に脅える日々を送っていた上、被害者と食堂で会ったことについて捜査官から質問を受けたこともなかったと認められるから、この点に関する供述が捜査の終盤に至って行われたことを問題視する理由はないし、原決定が指摘する被害者の印象に関する供述は実質的には同旨であって、相互間に明らかな食い違いがあるとはいえない。

その他原決定が秘密の暴露がないなどとする諸点(アノラックのポケットを鉤裂きした旨の供述につき、これが秘密の暴露といえるためには「例えば請求人が乗り越えたとされる金網部分にアノラックと同種の糸くずが引っ掛かっていることが発見されるなど、右自白が客観的事実であることが確認されなければならない。」とする部分、ベアリングレースプーラーを使用した旨の供述部分につき、「ベアリングレースプーラーに血痕が付着し、手提金庫の座金部分の打撃痕がそれの頭部分によるものであることは比較的容易に判明する事柄であるから、秘密の暴露といえない。」とする部分、「折りたたみ椅子の後脚部横張りパイプの屈曲痕についても秘密の暴露性があるとはえいない。」とする部分、「一般に鑑定関係書類の作成日付が遅れている点については一定の警戒心をもって受け止めなければならない。」とする部分、「請求人の腕時計の秒針は格闘の過程で飛んだとされているのに、秒針が現場から発見されていない。」とする部分、「タオルケットは最終的には押入から出したとなっているが、当初請求人は宿直室に押入れがあったかどうかは覚えていないと述べていたもので、その後日産社員の供述によりタオルケットは毛布代わりに使用されていたことが判明したので捜査官が誘導した可能性があり信用性に疑いがある。」とする部分等)は、原決定の独断に過ぎないか、本件の成否にかかわらない末梢的事項に関するものであっていずれも請求人の供述の信用性を左右するものとは認められない。

なお、弁護人らは、請求人の自白は、請求人の知的能力ないしその性格傾向にもとづくものであって、虚偽の自白にあたる旨主張するが、確定審において取調べ済の医師白沢公男作成の精神状態鑑定書によれば、請求人には、ものごとを針小棒大にいうところがあり、冗談かどうかの区別がつけ難い場合があるものの、それは他人の信用を失うほどではなく、精神病的負因もない上、本人が主張するような空想力の活発さ、豊富さは認められず、空想性虚言は否定してよく、正常域にあるというのであり、右の白沢鑑定以外に、請求人の精神状態ないし性格傾向に関する新証拠が提出されているわけではないから、弁護人らの右主張は採用の限りでない。

その他、弁護人らがるる主張する点について、関係記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せ検討しても、請求人の捜査段階における自白の信用性に疑いを抱かせる点を発見できない。

以上のとおり、請求人が提出した新証拠は、いずれも請求人の自白の信用性を左右するものではなく、いずれも請求人に無罪を言い渡すべき明らかな証拠とはいえないから、新規かつ明白な新証拠の存在を前提とする本件再審請求は理由がなく、棄却を免れない。

よって、刑事訴訟法四二六条二項により原決定を取消し、同法四四七条一項により本件再審請求を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 藤井登葵夫 裁判官 田口祐三 裁判官 富塚圭介)

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